古墳を期待された方、すみません。
これは古墳ではありません。
こ
の板碑は、広島県福山市駅家町中島にあり、福山古墳ロードAコースのひとつで、最明寺の東側にある。
右は、その板碑の説明。
説明によると、延文2年(南北朝時代の北朝で使用された年号)で、1357年の建立日が刻まれている。
また、更に、「この近くの二子塚古墳の石棺の側石を転用した物と思われ・・・」とあり、かなり古いものらしい。
二子塚古墳発掘では、組合せ式の石棺の一部が検出されたとあり、もしかすると、あるべきはずの石棺の側石が無かったのかもしれない。そして石棺の底板は、凝灰岩製で、この板碑も凝灰岩であれば、可能性がある。もちろん、石棺の一部の板厚と、この板碑の厚みも同じなのかもしれない?
しかし、石棺の一部を使用して、このような板碑をつくるとは?大胆な。石棺の一部と知らずに板碑にした?
いろいろ想像すると尽きない。
右写真は、板碑を正面から見たところ。
これは、板碑を裏側から見たところ。
板碑だけでなく、その周りにも古そうな石塔婆が並んでいる。
これは貞亨2年
1685年のものらしい。
最明寺へ向かう途中には、このような墓?お地蔵さん?
無縁仏?がたくさんあった。